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ソネフォト続け隊 [伏見隅々]

京都伏見の三栖閘門(みすこうもん)。
最近、このあたりがお決まりの散歩コースになってきました。
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コメント 7

ポン太miyaG^

水害対策が進んで被害の報道が殆んどなくなった昨今  これも公共事業のおかげです!。 昔から水門も河の風情で絵になる景色なのですが・・・?   なんともマニアックな景観にも(^O^)/  わたしは鉄骨構造や構造物の造形に   美を感じてしまいますから、なんとも\(^o^)/ 青空に水門!錆止めのペンキ   バランスの取れた対称構造の安定感 好いですネ~っ。
by ポン太miyaG^ (2010-02-27 01:58) 

bamboo

この三栖閘門は、水害対策の水門とはちょっと違うんです。 その昔、淀川の水運が盛んだった頃、大阪の八軒家浜と伏見港の間で 三十石舟が行き来していました(「三十石」という落語で語られています)。 淀川上流の宇治川と、伏見の運河との水位が違っていたため、 パナマ運河と同じ方式で水位を調節し、船を上げ下げしたのが、 この水門です。現在は動いていませんが、遊覧船「十石舟」「三十石舟」に 乗ると、この施設の中に入ってくれます。
by bamboo (2010-02-27 22:38) 

ポン太miyaG^

そう云えば 茨城県の潮来の水路に 利根川の分水同士を結水路の 水位調整用の水門があったような? これもまた 時代と共に消えて行く  文化ですね。
by ポン太miyaG^ (2010-02-27 23:28) 

gyobrin

実家のある、高槻市柱本には 「くらわんか船発祥の地碑」ってのがあります。 三十石船に漕ぎ寄せて、酒や食べ物を売っていたらしいです。 現在でも保津川下りの終盤には物売りの船が寄って来ますが、 あれに近いイメージだったのかも知れません。
by gyobrin (2010-03-07 17:08) 

bamboo

「くらわんか船」っていうと枚方というイメージがあったのですが、 そういえば対岸は高槻ですよね。落語などによると、かなり乱暴な言葉遣いで強引に売りつけていたようですね。枚方の「鍵屋資料館」にくらわんか船の資料がありました。  保津川下りは行ったことがないんですよ。亀岡には仕事でちょくちょく行ってたこともあったのですが。
by bamboo (2010-03-08 12:09) 

gyobrin

>保津川下りは行ったことがないんですよ 一度だけ・・・トロッコ列車で登って、保津川下りで下るってパターンで・・・。 もうすぐ渡月橋ってあたり・・・川幅も広くなり流れも緩やかになったタイミングで 物売りの船が現れます。
by gyobrin (2010-03-08 20:59) 

bamboo

機会があれば、行ってみます。
by bamboo (2010-03-09 09:20) 

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